ご案内
ヨーロッパにも引き戸があることは意外に知られていない。
さすがに家の出入口にはないが、家の中の部屋と部屋の間の仕切りに例がある。
具体的にいうと食堂と居間の間の仕切りが、両側に引き分けられ、壁の中に引き込まれるようになっている。
日本における門扉のドアー形式ほど一般的ではないが、向こうの人も引き戸の形式について全く知らなかったわけではないのである。
なのにどうして向こうでは引き戸は家の中のごく一部分にしか使われず、一方、日本では引き戸が中心となったのか。
この答えは、日本における引き戸とドアー形式の使い分けのなかにある。
ドアー形式の扉は、お城の城門とかお屋敷の門とか、敵や浪士に攻められて似合いそうな所にばかり使われていることから知られるように、防衛を強く意識した装置にほかならない。
大高源吾の大槌で叩かれても破られないように工夫されたのがドアー形式なのである。
そんな心配のないところは引き戸ですます。
普通の家なら出入口も引き戸、部屋と外をつなぐ開口部も引き戸形式の障子やガラス戸や雨戸。
日本の人々は、適材適所をこころえ、ドアー形式と引き戸形式を使い分けて来たのだった。
外国の人々は、出入口も窓も、内外をつなぐ開口部という開口部にドアーを使っている。
ということはそこまでしなければいけないほど心配だらけだったということか。
実際、心配だらけだったのだ。
大陸の国々は異民族との戦争がしょっちゅうある。
日本の国内戦なら、闘うのは武士だけで、その武士だって放けても指導層が腹を切ればすむ。
商人や農民。
建築の捜は、どっちが勝ってもお上が変わるだけで自分たちには関係ない。
ところが民族間の戦はそうはいかなくて、欺ければ、昔は、指導層、市民もろとも職滅させられるか、奴隷として売り払われた。
キリスト教の聖地にして東ローマ帝国の都のコンスタンチノープル(今のイスタンブール)がイスラム勢力に攻められて落城した時の話を読むとそれは酷いもので、三日と決められた略奪期間の間じゅう、将兵は町を走り回り、家々に乱入し、宝石や金品ばかりか人々を捕まえる。
抵抗する者はもちろん殺される。
略奪期間が終わると、将兵たちの戦利品は、この時を待ち受けていた近隣諸国の商人たちによって競売にかけられるが、いい値で売れたのは王族の妃や娘で、奴隷商人に買い取られ、勝者側や中立地帯の有力者の元に届けられたという。
こういうことをお互いに繰り返してきたのだから、普通の家でも開口部のすべてがドアー形式になったのはしかたがない。
引き戸は、ドアーにくらべ意識的な攻撃に対し弱い。
理由は、戸の一辺をガッチリ金物で固定するドアーにくらべ全面的に移動するため、四周のすべてにスキがあり、壊されやすい。
壊すまでもなく、雨戸程度なら外から簡単に取りはずすこともできる。
ドアーは攻撃に耐える装置だから、その取り付け方には世界共通のルールがある。
ただし日本のドアーを例外として。
読者の皆さん、ここでこの拙文を読むのを一時中止し、わが家のドアーの取り付け方を調べてほしい。
玄関の戸、洋間の戸と窓、便所も。
どうでした?例外なく外開きだったでしょう。
内外をつなぐ出入口のドアーは外に向かって、室内のドアーは廊下側に向かって開く。
外開きのドアー。
こんな話を外国の人や江戸時代の門番が開いたらさぞ驚くだろう。
そして、平和ボケと言うかもしれない。
現在の日本以外では、ドアーという防御装置は内側に開くよう設置するものなのである。
いろんな国を見てきたが、外開きの例は一つも見たことはない。
なぜ、ドアーは内開きにしなければならないかの答えは、谷干城に聞くといい。
谷は、明治十年の西南戦争のおり、熊本城にわずか百十数名の将兵とたてこもり、万来の西郷軍の攻撃に約五十日間耐え抜いた。
ついに城門を守り抜いたのだが、その時の方法は、城内の立木を伐り、門扉の内側に、幹の方を上にして立てかけたのである。
木の上下を逆さに立てかけるからこれを逆茂木といい、日本古来の防御法としてその筋では知られる。
ようするに、内開きのドアーの内側から重いものを当てつけたのである。
こうされては、いくら外から押そうが叩こうがおいそれとは破れない。
スキ間からコジあけようにもスキ間はないし、取り付け金物を壊そうにも内開きの場合、外からは手がかりがない。
日本の現在のドアーは外開きだから、スキ間にバールを差しこんでこじ開けるもよし、外に露出した蝶番の回転部をヤスリで切るもよし。
それだけ安心な国ということなのだろうか。
今から二十数年前になるが、坪二十万円で自宅の増築をした。
当時としてもトンデモない単価で、外壁は石綿スレート、内壁は石膏ボード張りという工場建築と安っぽさを競い合う仕上げにせざるを得なかったが、床だけはナラ材のムクのフローリングを張った。
設計を引き受けてくれた建築家の山本厚生さんが、ローコストであればあるほど床が大切と主張したからだが、この一言で悟りを開くことができた。
(日本の建築の生命は床にある)この生命に無自覚だったり、他の部分を重視するような建築家に自宅の設計を頼んでいる読者がいたら、今すぐ断りの電話を入れた方がいい。
間取りなんてもんは面積さえあればどうだって住めるし、外観は人間中身が第一と思えばサティアンなみでも気にならない。
人も住まいも大事なのは中をどうするかで、具体的には、室内の壁と床のどちらに力こぶを入れたらいいのか。
答はもちろん床だが、疑問のある読者のために一つ究極の選択を迫ってみよう。
破れ障子に青々とした畳の家と、張りたての障子にポロ畳が波うつ家と、どっちを選ぶ。
破れ障子は目をつぶれば消えるが、ポロ畳は目をとじても脚からチタチクくるし、波うつ上に寝ころんでもどうも落着かない。
何はともあれ、床だけは平らで清潔でなければならない。
こう考えるのは実は日本の人だけで、欧米ではモザイク・タイルや煉瓦敷きのようなわざとでこぼこした床でも平気だし、手で触れないくらいの汚れも平気。
中国の食堂にゆくと、床に食事のカスをどんどん落す。
日本人が床に敏感になったのは、もちろん履物を脱いで裸足で家に上り、座ったり寝そべったりするからだ。
床に皮フが直に触り、なめらかさや硬さや温度はむろん湿度まで、床材の持つ性格や状況のすべてを感じ取ってしまう。
もしこれが、外で靴を履いていたなら、靴を脱いで家に上り床に触れてもそう敏感にはならなかったろうが、なんせ日本人はあまりに長らく裸足で暮した。
現在、東京の西郊の国分寺に住んでいるが、隣の農家の小柳さんに聞いたら、戦前はむろん戦後も十数年は、農家の子は裸足で小学校に通っており、国分寺小学校の昇降口には足洗い場が付いていたそうだ。
履物を履く場合も、昔はワラジで、これは履いてみれば分かるが、実は裸足といい勝負。
ワラは地べたの凹凸をやわらげるには柔らかすぎるし、水気はすぐに浸み通ってくる。
そして何より実際に履いてみて驚くのは、ゾウリとちがい鼻緒より先がないことで、五本の指は直に地面をとらえる。
その結果、足は手と同様に五本の指が扇状に開き、同程度に鋭敏な触覚を持つにいたる。
子供の頃、かいぼし(排水して魚介を採ること)をした時、水の引いた泥沼に腰までつかって足先でまさぐり、わずかな感触だけで貝と石ころ、フナとコイ、ウナギとナマズを識別できた。
特に、季節ごとのコンテナボックスやイベントは、リサーチする期間が限られているため、コンテナボックスは難しいのです。
たとえば、コンテナの代表的なコンテナポイントを考えてみましょう。
現在の問題点を改善した上でレンタルコンテナを廃止し、その上で新しいレンタルコンテナの制度に移行していくとした。
